普門山吉祥院 聖徳寺 公式サイト (愛知県名古屋市北区)

普門山吉祥院聖徳寺
聖徳寺電話番号

聖徳寺について

聖徳寺について
聖徳寺書上帳
聖徳寺本堂

聖徳寺 本堂

聖徳寺本堂

太子殿

聖徳寺は、比叡山延暦寺を本山とし、春日井野田密蔵院を本寺とする天台の流れを汲む古刹である。

藤原時代の草創で開基は清和天皇の後裔、六孫主源経基の次男源満政七世の孫、浦埜四郎重遠の次男、従六位下右衛門少尉、葦敷次郎源重頼(安食次郎)であり、安食の荘の荘司である。

長承墨股合戦(1133)の戦死の霊を弔うために建立する。

この合戦では聖徳太子御名守札をかぶとに収めて大勝するが、戦死した子重義始め、従臣も永代の大檀那とし、聖徳太子の徳をたたえて、晩年自らも出家し、常観房隆憲と称した。安元二年(1176)2月11日 65歳没。

山を普門と名づけ院は吉祥を寺を圓光と号す。貞享二年(1675)正月二十二日寺号を聖徳寺と改む。

紙本白描絵因果経
国指定 重要文化財紙本白描絵因果経

国指定 重文 紙本白描絵因果経(巻第二上断簡)1巻

仏教の因果観に基づいて釋尊の一代記に前世の仏伝を合わせて説いたのが因果経で、全四巻からなる。上半分に絵を加え下半分に経分を書いたのが絵因果経で、一巻を上下に分け八巻に書写している。当寺に残っているのは「二巻上」の断簡(縦25.2cm 横425.4cm)。

成立年代は西暦1175年から1178年の間で、筆者は美濃国祐向寺の写経僧「六郎房円順」で、七ッ寺の一切経の写経のひとつである。絵因果経は絵に彩色をほどこした奈良期のもの(古因果経)と鎌倉時代(新因果経)があるが、当寺のものは絵が墨で描かれており、この新、古絵因果経の空白を埋める平安期のものとして、また、絵ときの経が都を離れた尾張の地で行われたことを物語る貴重な資料である。

【昭和55年4月国指定重要文化財】

大聖不動明王
大聖不動明王
明治3年(1870年)廃寺となった東照宮神宮寺別当天長山尊寿院(尾張権現坊)より移置。右手に利剣、左手に羂索、忿怒の相、盤石に安住し、大日如来の教令輪身である。
無苦の木大権現
無苦の木大権現
無苦の木

当時境内の椋の木様は寺伝によれば、聖徳太子が守屋と戦われた時に一時身をかくされた木とあり、矢田川、庄内川が決壊して寺に入水の時のご避難なされるところとある。

江戸、安政の頃、大野木村の万屋弥吉と申すもの、椋樹の枝を払ったところ、その夜枕元に聖徳太子様が現れた。おそろしくなったその者、さっそくに6月22日、餅百五十個、酒一斗、かりもり七つ、かぼちゃ五ヶ、ごぼう二足、噠嚫二朱を供えて、聖徳太子を勧請供養した。その後、財をなしたとある。

いつしか、"むく"を無苦として大権現と祭るようになった。

十三仏供養塔 聖徳寺霊苑
十三仏供養塔

名古屋城内天長山尊寿院より移置

十三仏
不動明王 初七日忌
釈迦如来 二七日忌
文殊菩薩 三七日忌
普賢菩薩 四七日忌
地蔵菩薩 五七日忌
弥勒菩薩 六七日忌
薬師如来 七七日忌
観世音菩薩 百ヶ日回忌
勢至菩薩 一周忌
阿弥陀如来 三回忌
阿閦如来 七回忌
大日如来 十三回忌
虚空蔵菩薩 三十三回忌
普門山吉祥院 聖徳寺

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